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思いついたこと等の雑記

父への感謝

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父が亡くなり田舎の実家へ帰っていました。

 

闘病中だったのですが、こんなにも早く逝ってしまうとは思ってもいませんでした。

 

癌とこの3年戦っていて、過去にも30半ばで癌に罹りその時は体力もあり克服したのですが70歳を過ぎて抗癌剤の影響で食も細り体力が落ちすぎていたのと、最終的には他の箇所への転移もあり残念ながら今回も勝つということは叶いませんでした

 

父は職人で基本的には真面目な人でした。

団塊世代ど真ん中で、高校を出てから集団就職で田舎から上京して、貧しいながら家族を食べさせるために黙々と働いてくれました。

ですが、私も若い頃はそんな父を見て「黙々と同じ仕事をして何が楽しいのだろう」とも思っていました。

7年前に祖父母が亡くなり、定年して父が田舎に帰った時も「不便なだけの田舎に帰ってどうするの」と思っていました。

 

父は荒れ地になっていた昔に畑があった場所を自分一人で耕し、そこで採れた農作物を私達へ送り、また畑を耕し続ける毎日を送っていました。

 

亡くなった当日仕事中だった私は急ぎ家族とともに田舎へ向かいました。

次の日地元の風習で墓に供える葉を叔母たちとともに父の畑の近くに採りに行きました。

そこには7年前には無かった父の畑へ通じる道ができていました。

 

何年も毎日同じ所を歩いて父が通ったところが道になっていました。

 

そのときようやく愚かな息子は理解しました。

父の夢は大きく、上京して家族を創り子供らを巣立たせたら田舎で好きな農業を悠々自適にする。

父はその夢を叶え人生を終えました。

 

父の人生は派手ではなく、平均よりは短かったかもしれないけれど、父の人生には確かに道ができていました。

 

亡くなる2ヶ月前、休みが取れたので父を見舞いに田舎へと帰った時には、歩くのにもなかなか大変な状態のくせに点滴を支えにして背筋をピンとして立ち私達家族を出迎えてくれました。

そのとき無口な父は大して何も語らず、やせ細った手でただ私の腕をポンと叩きました。

 

畑の道を見たときにそのことを思い出し「バトンは渡した、自分の思った通りに自信を持って前へ進め、必ず道になる」父がそう語りかけているような気がしました。

 

今は感謝の気持ちしかありません。

 

ありがとう、母のことは兄弟でみるから心配するな、強く生きるよ。

 

ありがとう、ずっとずっと忘れない。

 

おわり